
左隣りの漆喰塗りと下見板張り壁の建物は、近くの東山白山神社の祭礼で使われる神楽台(かぐらたい)が納められている屋台蔵。
マッシブな屋台蔵と対比するように、表格子とガラス戸でシースルー感あふれる再生された町家。
外観意匠に違いはありますが、一対の建築であるようにも見えます。
再生した後も、この古い町並みに馴染むよう、
玄関出入口の引違い戸は、飛騨高山の独自の意匠「高山格子」(たかやまこうし)に、
出格子は、より繊細な「吹き寄せ連子格子」(ふきよせれんじこうし)にしました。

入口の格子引戸を開けると、江名子川の護岸と川辺の緑までの見通しがよく、風に揺れる暖簾にも誘われます。


建具を開けきると、川辺の緑までの見通しが気持ちよいです。

1階の土間から江名子川に繋がる庭にまで敷き並べたのは、
この町家から東へ7〜8キロ程離れた滝町の渓谷で採れる地元の石です。
65万年前に北アルプスの焼岳が噴火して、そこから流れ下って来た火砕流が固まってできたもの。
同じ石が、上三之町の用水側溝や飛騨千光寺の108段の石段、宮川や江名子川の護岸石積みなどに使われています。
石切場のすぐ傍にある岩滝石材さんに、石の切り出しから加工、現場敷き並べまでを一貫して請け負っていただきました。

昔ながらの表現の仕方で、表面は荒く叩いてもらいました。
この石の硬さは御影石と大谷石の中間くらいで、加工は比較的しやすい石とはいえ、大変な手間がかかっています。
その甲斐あり、太めの目地、不陸な敷き具合と相まって、味わい深いよい雰囲気に仕上がりました。
風化変色もそれなりに進んでいき、どんどんこの場に馴染んでいくことでしょう。

玄関引戸の高山格子の影が石敷きに映る、午後の町家。

本麻の生地を藍染めして柿渋を染め重ねた「藍渋染め」の暖簾(のれん)。
深みのある色合いもさることながら、本麻の手びき手織りの風合いと透き通し具合が秀逸です。

この町屋は風通りがとてもよいので、暖簾も気持ちよさそうに揺れます。

1階の柱と梁は、この町家が建てられた明治8年(1875年)当時のまま残しています。
竹小舞組みの土壁だった壁は、左官屋さんが傷んでいる所は組み直したうえ、土の重ね塗りで補強して漆喰塗りで仕上げています。
補強に使われた土も、地元の山土にワラスサを入れて練って寝かし、左官屋さんが自作したもの。


床板や壁板は、地元の杉材で新しく張り直しました。
床板は厚さ35ミリ幅180ミリ。
分厚さと幅広さで、杉特有の足触りの柔らかさと温かさを充分に感じることができます。
壁板は特に杉の追柾(おいまさ)を製材発注しました。
白い漆喰壁との相性を考慮して、壁板にも静謐な繊細さを求めたからです。

李朝(李氏朝鮮)箪笥のバンダジと、高山の陶芸家 白川政之助 氏作の粉引の花入(大徳利)。
このバンダヂの凛として瀟洒な佇まいは、この石敷き板張りの空間にあって、より引き立って見えます。


江名子川側から見た、柿渋塗りの簾と渋墨塗りの簾の掛かる再生された町家。
右隣の漆喰塗りと押縁下見板張りは、東山白山神社の屋台蔵です。

屋台蔵と再生された町家と石畳の庭と江名子川の石積み護岸。
この江名子川越しに見る風景も、しっくり馴染んでいるように思います。
行き交う人たちに、風土と伝承と意志と、それにちょっとした和みを感じてもらえたら嬉しい。

江名子川の護岸石積みでひっそりと咲くユキノシタ。

翌年には渋墨を塗った簾はすっかり色褪せてしまったので、柿渋を塗り重ねました。
日中の蒸し暑さ、強い陽射し、川辺の緑蒼く、蝉しぐれの夏。
柿渋を塗り重ねた簾(すだれ)が掛かる再生町家に、日本の夏の情緒を感じる。
